信長の野望 創造・戦国立志伝 テキストリプレイ 中級:真田信幸で家名を後世に遺す! Part.4

上杉とガチンコ勝負

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1584年7月 第一次海津城攻略戦準備

信長の野望・創造 戦国立志伝
淡々と人を襲撃する仕事
(信長の野望・創造 戦国立志伝)

またもや修羅場からごきげんよう。真田源三郎にございます。ただいま我らは父の命である海津城攻略を果たすため、上杉配下の武将や、上杉に従う国人衆の勢力を削ぐべく、襲撃任務にいそしんでおります。
ただ、注意したいのは、意外と敵も頑強に抵抗する、ということ。特に友好度が高い武将が援軍に来てくれず、逆に相手に援軍がいる場合などは、大変な痛手をこうむりかねないのでご注意をば。

ちなみに、前回のリプレイを読んで、「周辺の三強のどことも組まず、単独で戦い続けるのは危険ではないでしょうか」というお手紙をいただきました。ありがとうございます。しかしながら、家臣の場合、出世しないと大名の外交方針に口を出せず、出せるようになったころには、だいたい手遅れになっているというのが、本作CPU大名の特徴です。従いまして、これも運命とあきらめましょう。

矢沢頼康(以下、三十郎)「ちなみに、手紙の差出人はわたしです」

仕込みかよ!

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内政はまあまあ順調ですが…
(信長の野望・創造 戦国立志伝)

領地の内政については基本的な生産を一通り抑えたら、できるだけ戦力になりたいので、早々に軍備にかかりたいところです。特に、籠城戦で役立ちそうな鉄砲備えや、野戦で力を発揮する騎馬備えを増やすことができる「鉄砲鍛冶」や「牧場」は早めに設置したいところ。ただ、どちらも対応する概念を「奨励」しないと、設置できません。それにも結構お金や資源を消費するので、小大名には厳しい所です。

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資金不足には米を売るのも伝統
(信長の野望・創造 戦国立志伝)

で、真田を取り巻く状況がどうなのか、ってことですが、南から徳川がどんどん攻めてきており、北では上杉が地盤固めをしております。周囲に攻め取れそうな城もあるんですが、同盟関係やら兵力不足で、動きがとれないのが残念なところ。

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現在の信濃情勢
(信長の野望・創造 戦国立志伝)

根知城攻めでの戦力浪費が効いております。我らが戦力を拡充している間、当然上杉も同様なので、戦力差が縮まるとは到底思えません。

真田信繁(以下、源次郎)「兄上、難しい顔をされますな。なんとかなります」

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せっせと任務をこなす、できる弟
(信長の野望・創造 戦国立志伝)

俺には任務を達成した先に明るい未来が見えんよ。

1585年12月 第一次海津城攻略戦

で、結局ここまで時間がかかってしまいました。途中、襲撃任務に参加しすぎて我が手勢が激減し、その回復を待たざるを得なくなってしまった、というのがその原因です。

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しかし案の定…
(信長の野望・創造 戦国立志伝)

いよいよ海津城攻略戦開始です。合戦になると、大名から合戦招集の命令があったりなかったりします。この時、断ってしまうとしばらく招集がかからなくなってしまいます。合戦は勲功を稼いで出世する大きなチャンスですので、手持ちの戦力が許すならば、できるだけ招集には応じておきたいところ。

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あれ、野戦だ。
(信長の野望・創造 戦国立志伝)

源次郎「兄上、この戦はわたくしが采配を取ります。敵は色部勢1200。我らは兄上の軍勢1400を含めて3500。野戦においてはまず十分な戦力差といえましょう」

そうだな。この合戦場はそういえば川中島か。亡き信玄公と上杉謙信が合戦を繰り広げた場所だ。旧武田家臣の我らにも、敵の上杉勢にとっても、なにか感慨深いものがあるやもしれぬ…

三十郎「あ、勝ちました。さすが源次郎さまだなー」

…あれっ。わしが川沿いに行軍している間に、源次郎が色部勢を打ち破ってしもうた。まあよい、余勢を駆って海津城へ攻め懸かろうではないか。

源次郎「あ、父上の命令で、兄上はここまでだそうです。城攻めはわたくしが責任を持って…」

ちょっとまて! 上杉の援軍がいつ来るかもわからんというに、源次郎一手で攻めるなど、俺にはわからんぞ! なぜ、左様な命になるのだ!?

源次郎「と、申されましても」

…どうもCPU父上の采配には首を捻るところが多い。やむを得ん、後は任せたぞ。

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帰城したところ、役職は昇進したのだが…
(信長の野望・創造 戦国立志伝)
信長の野望・創造 戦国立志伝
肝心の海津城攻めは膠着状態に陥り…
(信長の野望・創造 戦国立志伝)

源次郎「兄上、口ほどにもない仕儀と相成り、申し訳ございません」

いや、お前のせいではないよ。いかんせん、城一つ落とすのに兵が足りなさ過ぎた。また、次の機会があろう。それまでに、俺がしっかりと兵を養っておく。次、頼むぞ。

源次郎「…はい、かたじけのうございます」

攻略は失敗したが、次の主命も案の定“海津城攻略に備えよ”であった。あくまで上杉とは事を構えねば済まぬか、父上。仲の良い滝川家が、上州で粘ってくれているのが唯一の頼みと言えなくもない、ところが1586年、年明け早々のこと。

信長の野望・創造 戦国立志伝
どうやら討ち死にしたかなんからしい
(信長の野望・創造 戦国立志伝)

名将・滝川一益が死んでしまいました。当主の交代により、滝川家の勢力は減退をはじめ、関東制覇を目指す北条家の猛攻にさらされることになります。これで真田はいよいよ上杉・徳川と単独で戦わざるを得ない未来が近づいてきました。ああ、どうしようか。