甲州観光大使の内藤です
1543年8月以降の出来事
海ノ口城攻略という主命は主、すなわちお館様が短期間のうちに手ずから成し遂げてしまわれましたので、我ら家臣はあまり働き場所がございませんでした。しかし続く主命も「高遠城攻略準備」とのこと。これはまたもや槍働きの好機が訪れそうです。再度の出陣の下知まで、領地の発展に力を尽くさねば…!
決意も新たに翌月より、また領地の充実にいそしみ始めたのですが、色々と妙なことも我が身の周りに起きたのでありました。
変事その1:我が勇名、近隣に鳴り響く?
海ノ口城落城の知らせが近隣諸国に届くと同時に、我が屋敷に乱波・素波の類が密書を届けてまいるようになりました。それらはみな、「今よりもよい待遇で迎えるゆえ、武田を見限り我が下で働け」というような内容であったのです。わずか三か月の間に、
・山内上杉家(上野)
・北条家(相模)
・長尾家(越後)
と、そうそうたる大名から誘いの手が。
優れた人材が欲しいのはどの大名家も同じ。その点、それがしも調略の標的となる程度には名を知られるようになったのであるな、ということですが、
「辛いです……甲斐が好きだから……」
などと言うはずもなく、まこと迷惑千万なお話。武田を退散する気は毛頭ございませんので、断固拒絶いたしました。
ただ、家臣の立場からいずれどこかの城を奪い、大名として独立したいというような野望をお持ちの方であれば、主を変えるのも良いかもしれませんな。
変事その2:ガイドブック掲載疑惑
先に進出で獲得した土地からは、温泉の源泉が湧出しておりましたので、これを生かさぬ手はない。早速、湯治場を作り、兵や民の保養所といたしました。これで兵どもの傷が癒えるのも早まろう…と思っておりましたら、山本勘助殿、駒井高白斎殿など、家中の面々が湯治場に入り浸るように。一応あいさつにうかがってみると、山本殿が己が領地で不足しているというので、木材を都合してほしいなどと言い出す始末。仕方がない、都合しましょう。ちょっとは感謝してくださいよ。
湯治場を訪れる武将は家中に留まらず、大田資高、溝口長友といった他国の武将までやってくるようになりました。まさか、我が領地が「じゃらん」か「るるぶ」辺りにおススメスポットとして特集されたのであろうか……。しかし大田資高、人の領地に遊びに来た上に、金まで無心するとはどういう腹積もりか。貸すけど。
この傾向は、すっかり常連客化した山本殿の助言により、茶室を普請したことで、より一層拍車がかかるのでありましたとさ。
変事その3:領内に山賊が!
順調に領地を開発し、またもや手狭になってまいりましたので、進出して土地を広げました。そういたしましたところ、なんとそこには山賊の類が巣くう屋敷が! おのれ、我が領地で好き放題させてたまるか!
この山賊討伐のおり、先の木材に恩義を感じておられたのか、山本殿が手勢を率いて参陣して下さいました。どうやら、我が領地に遊びに来られた方や、頼みを聞いて差し上げた方との間では、「友好度」という数値が上昇し、何かの折に手助けしてくれるようになるようです。ということは、領地の観光地化も悪いことではないのですな。
でもやっぱり、責任ある立場の人たちが遊びに来すぎてる、とは思うんですけどね。オーナーが蕎麦打ちに拘っているペンション経営でも始めようかしらん。