この際、奥州探題でも目指そうかと思った内藤です
1562年5月 石橋をたたいて割るタイプって指摘されたことがありますが
内藤蘭「欧州探題?」
秋山信友「EUの首相ということですかな、内藤様」
ちがう。音だけ拾って馬鹿なこと言ってんじゃないよ。大体なんだよ秋山、EUって。そんなの、「EU…とは、なんですか?」ってメッセージすら出やしないぞ。
樋口兼豊「ここは真面目に参りましょう。いよいよ新たなる主命として、東北の雄・伊達家との戦を命じられた訳ですが…」
うん、そうね。まあ、伊達という名前だけ聞くと凄そうには思うんだけども…
山本勘助「実は、連中は本貫地のほとんどを失い、海沿いの城へ動いております。旧相馬領が中心ですかな」
駒井高白斎「会津新宮城に馬場殿、黒川城に秋山殿、杉目城に山本殿、三春城に蘭。四手総勢25000余りの軍勢が、いつにても伊達領へ侵攻できる準備を整えております」
兵力的にはそれで互角かこちらがちょっと上。有力な武将はおらんが、須賀川城、二本松城辺りからもそれぞれ3000は動員できるだろう。勝ちはほぼ確定だが…
馬場信春「相変わらず慎重だな、昌豊殿よ。また調略か?」
そう、その調略。確実に勝てるようにしておかないとね。標的はこいつとこいつと…。
蘭「調略考えてるときが一番楽しそうよね、パパ上」
兼豊「なにか鬱屈したものを抱えておられるようで、恐ろしゅうござる」
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1562年10月 戦は始まる前が肝
はい、この間約5か月。畠山家から下間頼照、南部家から蠣崎基広といった、「そこそこの能力でバランスが取れている」系武将を引き抜き、バックアップ体勢なんぞを整えておりましたよ。
兼豊「とは申せ、彼らは義父上とは必ずしも相容れぬ性格の者もおり、油断できませぬ。なにせ、先の主家に対して不平不満ばかり申していたゆえ、こちらの誘いにのった訳で、また同じことを繰り返さぬとは限りませぬぞ」
そういうときは、心を攻める。大事にされていると思わせればよい。みろ、兼豊殿!
兼豊「い、いつの間に斯様な珍奇なものを、かくも大量にため込んでおられたのです!?」
ため込むというか、捕縛した武将本人はお館様の所に行ってしまうんだけども、そいつらが持っていた家宝は、わしが取り上げていたようなのよ。という訳で、これらは今までの戦利品です。これを一気に配布! 釣った魚に餌をやるのが内藤スタイルよ!
兼豊「た、確かに単純だが、効果的だ…」
と、いう訳で家中の結束に問題は無し。軍議を開くぞ、手はず通り伊達領へ攻め込む!
馬場勢、秋山勢、山本勢は伊達領の北側、丸森城、亘理城から攻める。そして兼豊殿にも軍勢を与え、蘭と共に相馬中村城を攻める。舅殿は後詰として総抑えに回ってもらう。
馬場「委細承知。気がかりは南部勢だが、何とかなるか?」
秋山「お館様の軍勢が、山形城からたびたび南部領へ侵攻しようとしては撃退されておるのをよく見かけます。山形の兵が消耗しきれば、逆に攻めてくるやもしれませんな」
まあ、伊達をひねりつぶすのに半年はかかるまい。連中、なぜか油断しておるし、勝利を呼び込む仕掛けも用意してある。南部は忘れて、伊達を滅ぼすぞ!
諸将「おう!」
1563年1月 進軍あるのみ
秋山「申し上げます! 伊達家の水谷胤重、我が方の誘いに応じ、軍勢を率いて寝返りました!」
馬場「昌豊殿の仕掛けとはこれのことか。相変わらずえげつない」
兼豊「敵は、佐竹家かどこかの飯野平城を包囲しようとしているが、我らは寝返った水谷殿と共に、その背面を衝こう。蘭殿は、我らが敵主力と交戦しておる間に、義父上がお送りくだされた援軍の…えーと…誰であったか」
小笠原貞慶「信濃の侍、小笠原貞慶です」
兼豊「そうそう、小笠原殿と相馬中村城、小高城を落としてしまえばよい」
蘭「りょーかい、頑張るね!」
馬場「まあ、大したことは無いな」
秋山「しかし、樋口殿が飯野平で激戦になってしまっているようですが」
勘助「いけませんなぁ、樋口殿が抑えの部隊と交戦している間に、伊達の本隊が城を落としてしまった。樋口殿一手では、城は落とせますまい」
馬場「よし、勘助はここに残って伊達勢に備えよ。信友はわしと共に兼豊の後詰に参ろう」
秋山「承知つかまつりました」
兼豊「方々にはご助勢賜り、痛み入ります」
蘭「これで南側の伊達勢は全部蹴散らしちゃったよね? 次は北へ取って返す?」
馬場「左様だが、一旦各自城へ戻り、万全の準備を整えてから戦と参ろう。何が起きるかは分からぬ」
秋山「おや、馬場様とは思えぬ慎重ぶり」
馬場「たわけ、戦に慢心は禁物ぞ」
水谷胤重「あーあ、おはずかしったらありゃしない。弱っている相手を徹底的に叩くのが、僕の悪い癖」
蘭「地味に水谷さんがずっと頑張ってくれてるのよねー。ちょっと水谷要素をムリヤリ前に押し出し過ぎなのがビミョーだけどー」
兼豊「伊達家で、よほど腹に据えかねることでもあったのだろうか…」
馬場「馬鹿なことを言っていないで、先を見よ。南部勢が押し出してきておる。蘆名攻めの折の伊達勢と同じ、我らを警戒しておるな」
秋山「意外と大軍が出てきていますねえ。これは厄介」
馬場「あれを刺激せぬよう、伊達の城を落とすとしようか」
はい。名門・伊達家も、1563年8月をもって武田の軍門に下りました。馬場殿らが戦場に出ておられる間、私、内藤昌豊は、春日山城にて戦の全体を鳥瞰すると共に、新たなる人材を求めて諸国の噂に耳を傾けておりました。
と、思っていたら…なんと南部の大軍が山形城へ侵攻との情報が! お館様が無駄に兵を消耗させ、城の兵が底をつきかけたところに、南部が大軍を結集して攻め込んでまいったということ。いかん、山形の後方に広がる、我が内藤家の城の軍勢は、伊達攻めにほぼ全てを動員しておる。直ちに使者を出し、馬場・秋山・勘助・蘭の軍勢を呼び戻し、南部に備えさせよう。東の南部は、兼豊と舅殿で十分じゃ。
…しかし、まだ不安だ。よかろう、わしが行く!
山形城を中心とした我が方は、天童城に集結した南部勢と対陣しておる。兵力は、やや南部に有利だが…まさかこのわしが約15000もの兵を率いて、日本海沿いに天童城の後背を狙っておるとは思ってもおらぬであろう。兵は正をもって対し、奇をもって勝つ。思いもかけぬ手を打てる側が勝利するのよ。
鶴ヶ岡城包囲の陣中にて
……ふー、流石に冬の奥州、しかも夜は実に冷える。まあ、甲斐、信濃とてよく冷えるがな。やれやれ。山形城では消耗戦となり、我が方がやや劣勢のまま対陣を続けておる。彼らを助けるためにも、わしがひと踏ん張りせねば…
??「内藤様」
お? その声は勘助殿か?
勘助「はい、左様にござります」
妙だな、勘助殿は山形城で南部晴政の本隊と睨み合っておったはずだが…まあよいわ、中へ入りなされ。外は冷える。
勘助「お心遣い痛み入ります。さりながら、直ちに取って返しますゆえ、無用に存じます」
まあ、そういうなら…しかし、この夜半に何の用で? 何か大事でも出来したかな?
勘助「本日は、お暇乞いに参りました」
は?
勘助「内藤様と共に戦場を駆け巡り、まこと楽しゅうございましたが、この山本勘助、ここらでお暇を頂きたいと存じます。なお、我に替わって内藤様をお支えする者を、既に春日山城へ遣わしておりますゆえ、あとはその者とよう談合され、宿願をお果し下さりたい」
いやいやいや、言ってる意味が分からないんだけども? ちょっと、勘助、勘助さん?
…………はっ、なーんだ、夢か。しかし妙な夢だったな…。ん? 山形城から早馬じゃと? なになに、南部勢と長谷堂にて大合戦に及び、これを撃退、と。しかも蘭が総大将であったとは…この乾坤一擲、驚きじゃな。
そしてこちらは……。……、……このことであったか。
――山本勘助。
早くから内藤昌豊の与力として陰日向に支え続けた鬼謀の将。
最後は長谷堂での南部勢との大合戦に出陣。
勝利を得て後、病により陣没。
戦そのものでは死なず、陣中にて死す…この意表のつきっぷり、らしいといえば、らしいのう。勘助殿にはまこと世話になった。せめてもの手向けじゃ、南部の城の一つか二つ、落として弔ってやろうぞ。
勿論、伊達の次には「主命:南部家を攻略せよ」ということですが、今回はあくまで前哨戦。次から東北最後の大勢力・南部家と我が内藤オールスターズの本格勝負の火ぶたが切って落とされるはずです。
それからそう言えば……山本勘助の後任とは、一体どこの誰なのでありましょうか?