あくまで海津城を目指すらしい
1586年4月 第二次海津城攻略戦準備
みなさまごきげんよう。内政に関しては大分軌道に乗ってきた真田源三郎信幸です。さりながら、内政である程度貯えができると、父の無茶な命令を達成するためにことごとく供出する羽目になるのがつらい所。
真田家の攻略目標は、依然として上杉家が支配する海津城。これを攻略するのは並大抵のことでは不可能です。とはいえ、真田得意の寝技もなかなか仕掛けづらい。例えば、海津城周辺には有力国人衆の拠点があり、これを味方にして援軍を繰り出してもらうという手もあるにはあるのですが…
ぜんぜん支持を得られておりません。ドラマで御馴染み、出浦様が率いる戸隠衆も、真田ではなく、上杉を強く支持している有様で、なんとも手の打ちようがない。ていうか、今の私の身分ではそんな手も打てません。さて、どうしたものやら。
特にできるだけ兵を損なわないように襲撃任務をこなし、出陣の招集にあたっては、万全の兵力を揃えて合力することが肝要、と見ました。積極的に任務をこなしたおかげで、足軽頭に昇進した五か月後の1586年6月には侍大将に昇進。
一方で、領地の充実も欠かしません。概念の奨励を続けた結果、「黄金茶室」や「貯水池」など、数多くの上級特化施設が設置できるようになりました。これらを配置し、更に生産性を高めていきます。
目標は私一人で兵力2000を確保すること。真田本家の軍勢は、現状3000程度ですから、総兵力を倍くらいにできるのは、大きいんじゃないでしょうか。
矢沢頼康(以下、三十郎)「それでも上杉軍の大体1/6程度になるのが精一杯ですけどもね」
やる気をそぐようなことをあっさりと言ってくれるなよ。せめてもの自己防衛手段だ。
真田幸村(以下、源次郎)「ところで兄上…」
お前、鉄ばっかり欲しがるな! やるけどさ!
1586年11月 第一次上田合戦
ここまで状況は何も起きないという形で、順調に進んでおります。その間にできるだけ戦力を充実させたいところ。しかも内政と任務に励んでいたら、友好度が高い河原綱家が特殊能力「堅守」をくれました。そもそも、やり取りできるものなのかよく分からないのですが、こういうイベントも起きるのですな。
…この話は華麗にスルー!
が、しかし。着々と軍備を整えていた1587年の3月。
三十郎「源三郎さま、一大事が出来いたしました!」
何? 上杉勢6000が上田城目指して迫ってきたとは! なんということだ、先手を打たれてしまったか!?
真田昌幸(以下、昌幸)「敵の総大将は上杉景勝、兵は4000。先手は海津城代の島津忠直率いる2000が務めております」
ち、父上、いかがされたのです。なぜわたくしに敬語を使っておられるのです。
昌幸「どうもしておりません。ともにこのうえだじょうをまもってください」
いかん、パニックになっておられるのか? …というか、このゲーム、なぜか血のつながった親子兄弟にも関わらず、凄く他人行儀な会話をされることがちょくちょくあります。こういうところはきちんと設定してほしかったですね。源次郎に「真田のものではないあなたと仲良くなれて云々」とか言われたときは、異次元に来たかと思いました。
ともあれ、大切な防衛戦。ここで負けたら全て終わりです! だが、我らには地の利と度胸が備わっている!
参戦武将の知略によっては、敵部隊に夜襲を仕掛けることが可能です。夜襲が成功すると、敵部隊は混乱状態になっており、こちらが少数でも、一気に兵力を減らすことが可能。夜陰に乗じたそれがしと父の攻撃の前に、島津忠直は敵ではありませんでした。
籠城戦は基本的に防御側が圧倒的有利です。防御側は門や櫓などの防御設備を使って敵に損害を与えられるわけですが、攻める側は門を突破して攻めるしかありません。従ってきっちり門を守っていれば、こちらはほとんど損害が出ないのに、相手はどんどん兵力を失っていきます。なお、門と両脇の櫓に黄色い☆マークが表示されるように味方部隊が配置されていれば、きちんと防御設備を使えていることになるようです。
一瞬、危機かと思いましたが、堅固な上田城と、我ら真田一族の勇猛果敢な戦ぶりの前に、上杉勢はもろくも退散いたしました。そしてこの戦の功績により、わたくしは部将に昇進したのです、が。
三十郎「上田での勝利の余勢を駆って、源次郎さまが海津城へ攻め懸かられました…」
わしに招集もかからなかったが、これは当然だろう。上田の守りが手薄になっておる。源次郎の軍勢を退かせぬと、今度こそ上田が落ちるぞ。父上も、無理な戦をされたものだ!
三十郎「まあ、無理なのはずっとですから。ね」
そういう気が滅入ることをいうのは、やめておこう。という訳で、第二次海津城攻略戦も失敗ということに相成りました。でも、第三次もあるんだろうね。はぁ。